「建築は公共の存在である」


建築は土地に定着しているものですから、簡単にどこへでも移動することはできません。
故にある固有の場所において成り立つものであり、個人や特定の資本でありながら、存在は社会的なものなのです。

極端な言い方をすれば、粗悪な建築は社会にとって迷惑であるということです。
これはある種、酷なことかもしれませんが、しかし、もう少し広く、高く、深く物事を考えてください。建築に限らず何事においても、きっと未来の礎となる精神が誰にでもあるはずです。

様々な余条件をクリアし、そこに私達の持つ付加価値をいかに見出せるかが、私達の目指す建築なのです。



例えば隣に真っ赤な家がたったら・・・


窓越しに目がチラチラするし、どうもそこだけ場違いな感じがするし。
目障りですよね誰が見ても。
京都鴨川には相応しい橋が架けられるべきで、無理やりどこかの国からプレゼントされても、迷惑極まりないってものです。
反対に建物と景色が調和して、なんとも言えず気持ちのいい場所があります。
誰しも一つや二つ好きな場所や景色があるはずです。
クライアント(施主)や設計者のエゴであってはならないということですよね。
social nature